あきる野市の概要
あきる野市は、東京都の西部、都心から40〜50キロメートル圏に位置し、東は福生市・羽村市、西は檜原村・奥多摩町、南は八王子市、北は日の出町・青梅市に接しています。市内を流れる秋川と平井川の2つの川を軸として、比較的緩やかな秋川丘陵・羽村草花丘陵に囲まれる平坦部と、奥多摩の山々に連なる山間部から形成されています。平成7年(1995年)に、秋川市と五日市町が合併して発足し、現在は基本構想(ヒューマン・グリーンあきる野)に基づく職住近接の自立都市へとその歩を進めています。
あきる野のあゆみ
あきる野の地は、豊かな水と自然の中に早くから文化が開け、縄文時代から古墳時代の考古学研究史に残る遺跡が多く発掘されています。
武蔵国は代表的な馬の産地で、4つの勅使牧の1つである小川牧は、小川郷(秋川・平井川流域)を中心とした牧でした。
鎌倉時代、この地域は秋留郷と呼ばれ、武蔵七党のうち西党に属する小川氏・二宮氏・小宮氏・平山氏などが鎌倉幕府の御家人として活躍していました。また、室町時代において、武蔵総社六所宮随一の大社である二宮神社は、小川大明神と呼ばれていました。
戦国時代の末期からは、伊奈と五日市に「市」が開かれ、江戸時代になると木材は、秋川・多摩川を筏で流し、江戸に送っていました。このほか、絹糸を泥染めした黒八丈は、柔らかく深い艶のあることから、帯や羽織の衿などに珍重され、別名「五日市」と呼ばれました。江戸時代の集落は、秋川・平井川の段丘面や草花丘陵縁辺などに点在し、現在の市域の字である32ヶ村となって明治時代に至っています。
明治時代初期、あきる野は韮山県・品川県などに所属し、その後、神奈川県、東京府と移管されました。明治12年(1879年)には、五日市村が五日市町になり、その10年後には町村制が施行され、東秋留村・西秋留村・増戸村・明治村・三ッ里村・小宮村が誕生し、小中野村が五日市町に合併されました。
それから昭和にかけて、幾度もの合併を重ね、昭和47年(1972年)には秋川市が誕生し、平成7年(1995年)、秋川市と五日市町の合併により、あきる野市が誕生しました。
あきる野の名前の由来
昔、あきる野の地域は「秋留郷」に属しており、旧五日市町にある古社も「阿伎留神社」と呼ばれていました。また、秋川流域4ヶ市町村最初の共同事業の阿伎留病院や、この地域の中心に広がる平坦部を秋留台地と呼ぶなど「あきる」の名称は親しまれていました。あきる野市合併の際、「あきる」の末尾に「野」を加え、多摩川を境に東の平野の「武蔵野」に対し、西の平野をあきる野とし、「あきる野市」の名称が生まれました。
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| あきる野の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
二宮考古館 |
| 住所: |
あきる野市二宮1151 [地図を見る] |
| 電話番号: |
042-559-8400 |
| 開館時間: |
10:00〜16:00 |
| 休館日: |
火曜・水曜・祝日(水曜日が祝日の場合は木曜日も休館)、12月27日〜1月4日 |
| 入館料: |
無料 |
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